院長ブログ

長年飛行機で出張や旅行にでかけているが、これまで多くのトラブルに遭遇してきた。少し飛行機にまつわるトラブルの思い出を書いてみよう。最大のトラブルは米国留学から帰国途中に起きた。留学先のニューヨークの観光業者から、リアルアメリカを見て帰りなさい、といわれ、米国で最も歴史があるイエローストーン国立公園に寄っていくことにした。デンバー経由である。子供連れなため席の予約を何回か試みたが、なぜかどうしても席の予約がとれなかった。ニューヨークのラガーディア空港から搭乗したが、そこでもどうしても席の予約ができなかった。端末を操作したいたカウンターの女性が、理由はわからないと首をひねっていた。さてデンバーの飛行場に到着してはじめてその理由が明らかになった。乗り継ぎ便の飛行機会社が既に倒産しており、乗り継ぎ便が消滅していたのである。もちろんスーツケースもどこにいってしまったのか出てこない。米国人の数家族が我々と同じように乗り継ぎの飛行機に乗れなくなっていたが、それぞれレンタカーを借りて、我々にグッドラックと言いながら出発していった。残された我々は心細くなったがとりあえず飛行機会社が用意したデンバーのホテルに移動し、食券をもらって遅い夕食をとり、翌日の代わりの便で少しでも目的地のジャクソンに近づくことにした。しかし相変わらずスーツケースは行方不明である。行き先が少し違うがなんとか替わりの乗り継ぎ便を見つけて、公園内の予約していたホテルにたどりついた。そのあと航空会社から電話連絡があり、荷物はジャクソンホール空港に届いているが、早く取りに来いといわれる。車でホテルから数時間の距離であるが、荷物がなくなる前に取りに行くことにした。必死に地図を頼りにレンタカーでひた走った。夕闇迫るジャクソンホールの大草原をつっきていくと、その真ん中に目的のローカル空港はあった。あの光景は未だに忘れられない。空港ビルにはいると既に到着予定がないためか、なんと旅行者も空港職員もだれもいない。がらーんとした空港ビルの荷物のターンテーブルの片隅に懐かしい我々のスーツケースだけがぽつんと置かれていた。物騒な大都会の飛行場ならあっというまに盗まれていたかもしれない。やっとの思いで荷物を取り戻したあとは、疲れのため真夜中にホテルに着くまで私は助手席で爆睡してしまった。乗り継ぎ便が消滅していたため、荷物のタグの通りにルートを変えて目的地に荷物がついていたのである。このあとも米国で荷物紛失を経験したが、多くは夜中に宿泊先のホテルに届くことが多かった。それ以来一泊分の下着は手持ちの荷物にいれておくことにした。


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