院長ブログ

日常診療では、専門技術と医学知識の両者を日々絶えず向上させていく必要がある。技術は書物をみて会得する部分もあるが、特に神経ブロックに関しては先輩医師から実地で引き継いで学んでいく部分も多い。私が卒業して母校の大学の麻酔科医局に入局した頃は現在のような整った研修制度がない代わりに、先輩医師から手取り足取りして教わった部分も多い。当時はまだドイツ語がかなり使われており、先輩医師のことをオーベンと呼んでいた。ドイツ語で「上」のこを意味している。どんなオーベンに出会うかでその医師の一生が決まるとまでいわれていた。私がいわゆるオーベンと出会ったのは卒後2年目に市内のS病院に初めて赴任したときである。H先生と呼ばせてもらうが、専門的な技術の素晴らしさはもちろんだが、温厚な人柄で手術室のチームのまとめ役としても大活躍していた。朝私が医局でのんびりコーヒーを飲んでいる間に、昨日の手術患者をさっと回診してきており、患者を把握する技術はまさに超一流であった。H先生には私が大学に戻ってからも公私にわたって大変お世話になった。残念ながらご病気で一線を退かれたが、私自身H先生の境地には未だ達していない。きっと天国で「まだまだ」といわれているような気がする。


長年飛行機で出張や旅行にでかけているが、これまで多くのトラブルに遭遇してきた。少し飛行機にまつわるトラブルの思い出を書いてみよう。最大のトラブルは米国留学から帰国途中に起きた。留学先のニューヨークの観光業者から、リアルアメリカを見て帰りなさい、といわれ、米国で最も歴史があるイエローストーン国立公園に寄っていくことにした。デンバー経由である。子供連れなため席の予約を何回か試みたが、なぜかどうしても席の予約がとれなかった。ニューヨークのラガーディア空港から搭乗したが、そこでもどうしても席の予約ができなかった。端末を操作したいたカウンターの女性が、理由はわからないと首をひねっていた。さてデンバーの飛行場に到着してはじめてその理由が明らかになった。乗り継ぎ便の飛行機会社が既に倒産しており、乗り継ぎ便が消滅していたのである。もちろんスーツケースもどこにいってしまったのか出てこない。米国人の数家族が我々と同じように乗り継ぎの飛行機に乗れなくなっていたが、それぞれレンタカーを借りて、我々にグッドラックと言いながら出発していった。残された我々は心細くなったがとりあえず飛行機会社が用意したデンバーのホテルに移動し、食券をもらって遅い夕食をとり、翌日の代わりの便で少しでも目的地のジャクソンに近づくことにした。しかし相変わらずスーツケースは行方不明である。行き先が少し違うがなんとか替わりの乗り継ぎ便を見つけて、公園内の予約していたホテルにたどりついた。そのあと航空会社から電話連絡があり、荷物はジャクソンホール空港に届いているが、早く取りに来いといわれる。車でホテルから数時間の距離であるが、荷物がなくなる前に取りに行くことにした。必死に地図を頼りにレンタカーでひた走った。夕闇迫るジャクソンホールの大草原をつっきていくと、その真ん中に目的のローカル空港はあった。あの光景は未だに忘れられない。空港ビルにはいると既に到着予定がないためか、なんと旅行者も空港職員もだれもいない。がらーんとした空港ビルの荷物のターンテーブルの片隅に懐かしい我々のスーツケースだけがぽつんと置かれていた。物騒な大都会の飛行場ならあっというまに盗まれていたかもしれない。やっとの思いで荷物を取り戻したあとは、疲れのため真夜中にホテルに着くまで私は助手席で爆睡してしまった。乗り継ぎ便が消滅していたため、荷物のタグの通りにルートを変えて目的地に荷物がついていたのである。このあとも米国で荷物紛失を経験したが、多くは夜中に宿泊先のホテルに届くことが多かった。それ以来一泊分の下着は手持ちの荷物にいれておくことにした。


痛みの専門外来であるペインクリニックでは、薬の他に注射がよく併用されています。勿論痛みの治療では、当然ですができるだけ痛くない注射を目指しています。痛くない注射には幾つかの条件があります。まず細い針は絶対条件になります。しかし細すぎると刺入の際に不安定になり、場合によっては体内で折れる可能性もあります。このため当院では27Gか30Gの針を使用しています。ちなみに「膝の注射は痛い!」という先入観があるかもしれませんが、当院では膝関節のヒアルロン酸も27G針を使用しており、かなり刺入時痛は少ない(はずです?)。また針先にはBEVELとよばれる斜めに切れている部分があります。この向きを皮膚の割線方向に一致させて、刺すというよりは針を沈める感覚で注射をおこなっています。もちろん針は一回一回すべて使い捨てにしております。針を抜く時も痛みが生じるため、かるく回転させながら抜去しています。
 以前屋根瓦職人のプロは、粘土から瓦を切り出すときにまっすぐ切らずに軽い振動を加えながら切り出していくという話を聞いたことがあります。私も深い位置に針を刺すときには、目には見えませんが微細な振動を加えながら針を刺入しています。針先に引っかかりがなくスムースに刺入できます。同じアイデアで超音波振動ナイフがすでに料理用に市販されています。ケーキやパンなど力をいれずに引っかかりなく綺麗に切れます。また薬液の温度も影響があり、暖めると比較的刺入痛が少ないと言われており、すこし手のひらでアンプルを人肌に温めて注射することもあります。
 体に注射しても痛くない部位はあるでしょうか。実は痛覚盲点が腕にあるといわれており、針を刺入しても痛くないといわれております。場所は肩の先端の肩峰というでっぱりと、肘の後ろの肘頭とよばれる骨のでっぱりを結んだ線と、三角筋の下縁の交点から6mm下のすり鉢状にへこんだ点が痛覚盲点といわれております。子供のワクチン注射の際に利用している専門医もおります。


ヤヌス神をご存じだろうか。古代ローマの門の神であり、表と裏の異なる二つの顔をもっている双面神のことである。ヨーロッパの旧市街を取り巻いている城壁の入り口に、ときにヤヌス神が飾られていることがある。1年の入り口にあたる1月の英語表現は、ヤヌス神から派生した、「January」が当てはめられている。そこから転じて、強力な鎮痛作用と強い副作用の二面性を併せ持っている麻薬性鎮痛薬をヤヌスドラッグと総称している。麻薬性鎮痛薬は強力な鎮痛作用があるが、一方では長期間の内服使用で性ホルモン減少、食欲減退、注意力障害などの無視できない副作用を引き起こしてくる。米国麻酔学会ではかなり前から麻薬性鎮痛薬をヤヌスドラッグとして警告してきており、図のようなポスターを配布してきた。日本式に表現すると、諸刃の刃である。



日本ペインクリニック学会が第50回を迎えたのを記念して記念誌が発行された。記念誌で募集された、「未来の痛み治療に抱く夢」部門に、私の応募原稿が採用されたので、以下に掲載する。

題名 偽薬鎮痛法の応用
ここ数年多くの疼痛治療薬の臨床治験に参加してきた。その際偽薬の鎮痛効果がいずれも実薬の7割程度の薬効を示していることに驚かされた。臨床治験という特殊な状況下の結果ではあるが、この偽薬効果を直接生み出すことができる実薬?(偽薬鎮痛薬)が合成できれば、生体内鎮痛機序を利用した新たな疼痛治療法の可能性がある。
偽薬の標的は内因性オピオイド系と側坐核のドパミン系の活性化である。このため確実な偽薬治療効果をあげるには、事前のオピオイド系やドパミン系の遺伝子プロファイリングと、医療サイドと患者の良好な信頼関係の確立という前提が必要になってくる。また偽薬効果では各種の寄与因子の積み重ね効果が認められており、適切な患者選択のうえで偽薬効果の寄与因子のスコアリングを行い、有効性が予想される疼痛患者に対して偽薬鎮痛薬を投与する。この結果生体内鎮痛予備力を最大限に発揮させて、一種の和痛状態を得ることができる。
偽薬効果は万人に生じるわけではないし、一部ではノセボ効果による疼痛悪化の可能性も残されている。またサイエンスの立場から、偽薬は正しい病気の原因や治療法の探求からは排除されてきた経緯がある。しかし一方では偽薬効果発現による疼痛抑制系は、生体にとっては副作用の少ない優しい鎮痛システムというメリットがある。偽薬鎮痛法を未来の新たな「優しい疼痛治療」のオプションとして提案したい。