院長ブログ

日本ペインクリニック学会が第50回を迎えたのを記念して記念誌が発行された。記念誌で募集された、「未来の痛み治療に抱く夢」部門に、私の応募原稿が採用されたので、以下に掲載する。

題名 偽薬鎮痛法の応用
ここ数年多くの疼痛治療薬の臨床治験に参加してきた。その際偽薬の鎮痛効果がいずれも実薬の7割程度の薬効を示していることに驚かされた。臨床治験という特殊な状況下の結果ではあるが、この偽薬効果を直接生み出すことができる実薬?(偽薬鎮痛薬)が合成できれば、生体内鎮痛機序を利用した新たな疼痛治療法の可能性がある。
偽薬の標的は内因性オピオイド系と側坐核のドパミン系の活性化である。このため確実な偽薬治療効果をあげるには、事前のオピオイド系やドパミン系の遺伝子プロファイリングと、医療サイドと患者の良好な信頼関係の確立という前提が必要になってくる。また偽薬効果では各種の寄与因子の積み重ね効果が認められており、適切な患者選択のうえで偽薬効果の寄与因子のスコアリングを行い、有効性が予想される疼痛患者に対して偽薬鎮痛薬を投与する。この結果生体内鎮痛予備力を最大限に発揮させて、一種の和痛状態を得ることができる。
偽薬効果は万人に生じるわけではないし、一部ではノセボ効果による疼痛悪化の可能性も残されている。またサイエンスの立場から、偽薬は正しい病気の原因や治療法の探求からは排除されてきた経緯がある。しかし一方では偽薬効果発現による疼痛抑制系は、生体にとっては副作用の少ない優しい鎮痛システムというメリットがある。偽薬鎮痛法を未来の新たな「優しい疼痛治療」のオプションとして提案したい。



皆様、明けましておめでとうございます。
本年も、きむらクリニックでは痛み患者ファーストで、診療をおこなっていきたいと思います。さて、年が明けて院内に変化があったのにお気づきでしょうか。待合室にリトグラフを一点新たに掛けました。作者は群馬県出身の芸術家の司修さんです。もともと映画館の看板書きの助手として働きつつ独学で絵を描き始め、絵画、小説、絵本、装丁など多数の幻想的な芸術作品を創作してきたかたです。小学館児童文化賞、産経児童出版文化賞、川端康成文学賞、毎日芸術賞、大佛次郎賞、イーハトーブ賞など多数の受賞歴があります。ではなぜ司さんの作品が当院にあるのでしょうか。じつはこのリトグラフは、平成11年に群馬県前橋市で開催された日本ペインクリニック学会で、私が最優秀ポスター発表賞を受賞したさいに、受賞の記念品として当時の群馬大学教授の後藤文夫先生から贈呈されたものです。幻想的な素晴らしい作品です。当院受診の際には、ぜひご覧になってください。



今やラーメンブームといってもよいかもしれない。メディアでもよく人気のあるラーメン店の特集を目にするし、ミシュランの星がついて話題になった店もある。私がよくでかけるのは、クリニックから徒歩で30分くらいにある東区赤塚交差点ちかくの、麺屋 如水である。夜6時の開店時にはいつも行列待ちができている。故郷の北海道の千歳空港で帰りの飛行機を待つ間に、時間があるとよくターミナルビル3階にあるラーメン食堂街にいくことが多い。まっさきに目にはいるのが、入り口近くにあるエビスープで有名な「えびそば 一幻」さんの行列である。一度食べてみたいと思うが、残念ながらあの行列を待つ勇気がないため、一番奥にある「けやき」の味噌ラーメンを食べてくることが多い。 
海外でラーメンというと、どんな食べ物がでてくるだろうか。以前ニューヨークに滞在時に、近くの中華のテイクアウトで、ramenとかかれたメニューがあった。汁物のテイクアウトとは一体何だろうと一度興味本位で頼んでみた。でてきたのは四角い紙のバスケットにはいった焼きそばであった。世界各地にある中華のテイクアウトではよくこの焼きそばがramenとして売られている。もちろん今は海外でもramen店と書かれた店でramenを注文すると、日本のラーメン店顔負けの立派なラーメンがでてくるようである。
 さて生涯のなかで、もっとも美味と感じたラーメンは?と問われると、今から約50年前の話にさかのぼる。当時私が中学入学前の春休みに父と一緒に北海道のニセコ連峰の春の縦走にでかけたことがある。夕方ニセコ連山からおりてきて、当時の狩太駅(現在のニセコ駅)に着いた。時刻はすでに夜の6時前後だったろうか。次の札幌行きの列車までずいぶんと時間があいていた。駅の周りをみわたしても、食堂などはまったくなかった。駅員さんにどこか食事ができるところはありますか?と尋ねると、近くには食堂はないが、駅前の小売店のかたに聞いてあげましょうといわれた。ほどなく食事をつくってもってきてくれることになった。やがてお店のかたがそろそろと丼を二つもってきてくれた。丼のなかには湯気のたったインスタントラーメンがおいしそうなにおいをたてていた。二人でラーメンを汁まですっかり平らげたのはいうまでもない。食事がおわったあと、すでにあたりは真っ暗になっており、誰もいなくなった駅舎の待合室で石炭ストーブを囲みながら次の列車が到着するのをまった。父が駅員さんに口利きのお礼のお菓子をさしいれると、お返しに事務所の中から綴じた新聞を貸してくれた。良き時代であった。
 平成28年のお盆休みに帰省した時に、思い立って懐かしいニセコ駅にでかけてみた。途中小樽の運河を散策したあと、まず倶知安駅まで行き、そこでローカルのワンマン電車に乗り換えてニセコ駅までいってみた。おりしも観光シーズンのため、電車内は海外の観光客も含めて満員であった。ニセコ駅におりたち、駅舎内にはいると、たぶん何度か改装されたとは思うが、狭い待合室が気のせいか50年前そのままの雰囲気がした。長年心の片隅に残っていた父と食べたラーメンがまるで昨日のように思い出された。駅舎から表にでて、あの思い出のお店のあった方角をみると、それらしい建物がみえた。隣にはしゃれたイタリアンレストランが隣接していた。残念ながらお店はお盆休みのためか、しまっていた。駅前にはミニFM局や温泉施設もできていた。駅舎内の掲示物は英語表記のものが多く、国際的な雰囲気がただよっていた。帰りの電車待ちの途中で駅前に五色温泉行きのバスがきた。医学生時代に春スキー合宿でよくでかけた場所であり、懐かしい記憶がもどってきた。ワンマンバスの運転手から、どうしますか、乗りますか?と声をかけられたが、帰りが心配になり乗車は辞退した。札幌までの帰りみちに、小樽で再度途中下車し念願の小樽の寿司を駅前近くの「よし」で堪能し、センチメンタルジャーニーを終えた。



痛みと血圧には関連があるだろうか。痛みがつよいと、自律神経を介して血圧が上昇してしまう。ではもともと高血圧がある患者は、痛みに敏感だろうか?実は高血圧の患者は、痛みに鈍感なことが従来の研究で明らかになっている。この理由は人類の歴史とも深い関係がある。
血圧上昇に関連するレニンアンジオテンシン系は、脳内麻薬のオピオイド系を介して痛みを緩和するといわれている(図参照)。高血圧になると疼痛閾値が1~2割程度上昇し、逆に高血圧が治癒すると疼痛閾値はもとに戻ることが知られている。古来ヒトが生存競争を生き残るために、闘争を維持する自律神経(交感神経系)と闘争に伴った痛みを緩和する脳内麻薬のオピオイド系が密接にリンクした種族が生存競争には優位であったと考えられる。このため交感神経系を代表するレニンアンジオテンシン系が機能亢進している種族が、人類の長い歴史のなかで生き残ってきた可能性がある。しかし現代のような種族間の闘争が激減した世界では、高血圧を引き起こす遺伝子系は種保存にとってはむしろ悪影響をおよぼすようになってしまった。
 1992年イギリスの自然科学雑誌のNatureに、身体能力の優れた登山家や運動選手などのアスリートは、闘争に関連したレニン系の亢進している遺伝子多型のグループに属していることが多いことがわかり話題になった。また私が名古屋大学在籍時におこなっていた難治性の痛み患者の遺伝子解析では、レニン系の亢進している遺伝子多型患者が多いことを報告してきた(国際疼痛学会)。このように、痛みと高血圧関連遺伝子にはいくつかの接点があり、学問上興味深いテーマとなっている。



海外でタクシーに乗るときは、日本とちがって十分な注意を払う必要がある。私が米国留学したときのタクシーの乗車経験を紹介しよう。ニューヨーク郊外にあるタカホという町に住居を借りた。まだ自家用車を手に入れる前だったので、やむをえずレンタカーを長期で予約した。ホワイトプレーンという町にレンタカー会社の営業所があり、車で30分くらい離れた町であった。車を借りにいく交通手段がないため、タクシーを予約しようとした。といっても日本とちがって、ニューヨーク郊外の町では流しのタクシーが全く走っていない。タカホの郊外電車の駅前にタクシー会社に直結した専用電話が何台かあったので、受話器をとってみたがどれも壊れていて繋がらない。やむを得ず自宅に戻って固定電話から電話帳にのっていたタクシー会社に電話して、近くまできてもらった。それらしいタクシーが近づいてきたが、なぜか既に別の男性も後部座席に乗っている。状況がよくわからなかったが行き先を告げると、巨漢の運転手がうなずいて後部座席にのるようにいってきた。隣の見知らぬ男と二人並んで後部座席に座ると、やがて走り出した車はなぜか明らかに別の方角に走り出した。どうなっているのだろう。やがてタクシーは、一見して危険なスラム街の地域にどんどん入り込んでいった。徐々に不安感がたかまっていったが、やがて古ぼけたアパートの前にタクシーが止まった。隣の男が降車し、運転者が買い物袋をもって一緒にアパートのなかにはいっていった。まだ何が起こっているのか事情がよく呑みこめないでいると、やがて巨漢のタクシードライバーが戻ってきて、一言も発せずに車をスタートさせた。やがてやっと見覚えのある風景が見えてきて、目的のレンタカーの営業所に到着した。あとで現地の方に事情を伝えると、それは乗り合いタクシーね、といわれた。いっぺんに何人か客を乗り合いさせて運行していたらしい。もちろん日本ではあり得ない話である。また生活必需品である車をもてない米国人は、日常の買い物でさえもタクシーを利用しないと距離がありすぎて無理なため、タクシーで日常の買い物に出かけることが多いことがわかってきた。さてタクシードライバーにいわれた料金をはらって下車すると、運転手が降りてきて私にむかって「帰り道がわかるか?」と聞いてきた。よくわからないと伝えると、手近にあった広告の紙の裏に詳細な地図をかきはじめた。信号の位置や、方角などを一通り記入して私に渡してくれた。急に無愛想なタクシードライバーの顔が、妙に親しげにみえてきたのは気のせいであろうか。人は見かけによらない、とつくづく感じさせられた経験である。